京都の月と六ペンス・・・というcafeに行ってからいつか読もう・・・
と思っていたサマセット・モームの「月と六ペンス」ひょんなところから、最近読む機会ができ、
忘れたくない言葉たちがたくさん散りばめられていたので・・・思わずここに記載します。
画家のポール・ゴーギャンをモデルに、絵を描くために安定した生活を捨て、死後に名声を得た人物の生涯を、友人の一人称という視点で書かれた小説。この小説を書くにあたり、モームは実際にタヒチへ赴き、ゴーギャンの絵が描かれたガラスパネルを手に入れたといいます。
題名の「月」は夢を、「六ペンス」は現実を意味するのだそう・・・。
私はゴーギャンはあまり好きではないのだけれど、そして、ここに描かれてるストリックランドという画家は非道だと思うけれど、・・・ある激しい感情を持っている部分の表現に共感した。
「僕は言ってるじゃないか。描かないじゃいられないんだと。自分でもどうにもならないのだ。
水に落ちた人間は、泳ぎが巧かろうと拙かろうと、そんなこと言っておられるか。
なんとかして助からなければ、溺れ死ぬばかりだ」
何か強い力に突き動かされる感じ。そういう感情は、わかる気がする。
たぶん、自分の中にもそう思うところがあるからなんだろう。
それに、まだその渦の中にいるのかもしれないとも思うし・・・(笑)
ダーク・ストルーヴの言葉も忘れがたい。
「いいかい、美という、およそ世にも貴いものがだよ、まるで砂浜の石ころみたいに、
ほんの通りすがりの誰彼にでも無造作に拾えるように、ころころ転がってるとでも思うのかい?
美というものは、すばらしい不思議なものなんんだ。
芸術家が己れの魂の苦しみを通して世界の混沌の中から創り出すものなんだ。
だが、それで美が創りだされたからといって、それを知るということは、
人間、誰にでもできるもんじゃない。
美を認識するためには、芸術家の経験を、めいめい自分で繰り返さなければならない。
いわば芸術家が、一つのメロディーを歌って聞かせてくれる。
それをもう一度僕らの心で聞こうというには、僕らに知識と感受性と想像力が必要なんだ」
このきっぱりと言い放つセリフも好き
「僕は、昔のことは考えない。問題は、ただ永遠の現在なんだ。」
・・・すごいな。
「世間には奇妙なことをする人間がいっぱいいる。
そして人間というものが、決して意志どおりになるものではなく
むしろどうにもならぬ必然によって動かされるものだということを恐らく彼は知っていたのだろう」
・・・どうにもならむ必然・・・う~ん。あるな。今までにもたくさん感じてきた。
そしてたぶん、これからも・・・
それと、輝かしい将来を約束されていたのを棄て、島で医者になったエイブラハムに
主人公の「僕」が投げかけた質問
「後悔しないかね?」
にまっすぐにかえってきた言葉
「後悔どころか。一分間だってそんな気はしない。食えるだけのものはくれるのだ。
僕は、満足している。死ぬまでこのままでいられれば、もうなにも言うことはない。
すばらしい生活をしてきたんだ」
そんなふうに言えるのって潔くてすてきだと思った。
幸せは社会的成功ばかりではない。
人生において何が幸せかは、きっと皆胸の内それぞれにあるのだ・・・と
この小説を読むとストンと胸におちてきた。例外なく私も・・・。
何が幸せかは自分で決める、静かに強くそう思った。
それにしても、人間の不可解性についてもいろいろ考えさせられた本。
たぶん、この先何度も、手にとりたくなる本だと思った。
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